子育て

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子育て指南書「ウンコのおじさん」

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子育て指南書「ウンコのおじさん」宮台真司(社会学者)、岡崎勝(小学校教員)、尹 雄大(ライター)著 ジャパンマニシスト社

「政治に必要な「損得よりもを正しさ」や、

恋愛に必要な「カネよりも愛」が枯渇して、

損得に拘泥する浅ましい生き方が蔓延し、

いまや政治が支える国と、恋愛に始まる家族の、

持続すら怪しくなった。」

夫婦、親子、兄弟、学校の先生、上級生、下級生、近所のおじさん、、

タテ・ヨコ・ナナメの人間関係で織りなされる社会を子供達はどう捉えて、どう過ごしていけばいいのか。

社会の秩序を守る「法(法律だけじゃなくモラルや礼儀なども含む)」を守ることが目的じゃなく、仲間を守るために作られた法。

そして法の外で行われる祝祭で仲間としてのホドホドの共通感覚を確認する。

建前の法と法外の本音。

「守るべきだとされる法を破っても、これぐらいは大丈夫だろう。」

これ、ホドホドの共通感覚。

法外の共通感覚がないとホドホドが分からず、誰が仲間か分からず、法内の社会で「なりすまし」て生きることになる。

結果、正しさより損得、愛よりもカネという本末転倒な社会が子供達に刻み込まれていく。

ウンコのおじさんは子供達の前で

車が通っていない道路を赤信号で渡り、

工事現場の進入禁止の柵を越えて入り

道路にチョークでウンコを描いて遊びだす。

初めはおっちゃんすげー、いずれはおっちゃん最低ーだね。と、

子供たちにホドホドが刻まれていく。

劣化した大人が、劣化しない子供を育てる。

ウンコのおじさんは「法外」を演じる勇気と覚悟が必要だ。

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ココロの梅雨前線

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妻が熱を出して寝込み、朝から準備で忙しい。

小1の息子は未だお母さんと一緒でないと学校へ行けないのだが、今日はお母さんが風邪のため止むを得ず一緒に行けなくなってしまった。

そのことを息子に伝えると一緒に行けないことに納得し、玄関先までついて来てくれたら一人で行けるからと、久々に一人での分団登校となる予定だった。

が、しかし。。

いざ登校の時間となると、寂しくなってきたのか、心細くなってきたのか、お母さんと一緒に行けないことに嫌だ嫌だと泣き始めてしまった。

昨日の朝は妻と一緒ではあったがご機嫌で登校し、ご機嫌で帰ってきたので今日は一人でも大丈夫だろうと思っていたが、いざ登校時になってみると気持ちが動揺し収集がつかなくなってしまった。

この事態を納めるには、私が一緒に行くしかなくなり、小学生に混ざって何十年かぶりに小学校への登校となった。

息子に付き添って登校するのは初めてなので、子供達に挨拶をして、どうなることかドキドキしながら一緒に登校した。見慣れぬ大のおじさんが一緒にいるので遠慮しているせいか、淡々と粛々と登校していく。

学校に近づくにつれて他の子達も混ざってきて多少賑やかになってきた。
学校近くの横断歩道では先生が旗を振って、心配そうに眉間にしわを寄せながら、おはようございますと挨拶をしている。

なんだか活気がない。

私が小学生の頃は、登校時からワイワイガヤガヤ賑やかな感じであったと記憶しているが、どうも笑顔が少なく、よそよそしい感じだ。

大のおじさんが一緒にいるから子供達が気を使って遠慮していると思われるかもしれないが、その分を差っ引いても活気がないような気がするのだが気のせいか。

息子が学校に行きたくないのは慣れない規律やルールの窮屈さに困惑しているからだと思っていたが、それだけではないのでは?と一緒に登校して思う。

以前、幼児園や保育園で先生をしていた方々が口を揃えて、「みんな弾けるような笑顔だったのに小学校に行き始めると笑顔が曇って、かつての元気がなくなっていくのよね」と嘆いていたのを思い出す。

今日は晴れて天気がいいのに、子供たちの顔は曇り、息子の心は雨模様。

台風5号が近づき、梅雨前線は活発化、関東、東北では大雨の恐れらしい。

息子の心に停滞する梅雨前線はいつまで続くのだろうか。

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小1の心と梅雨の空

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今日は小1息子の登校9回目の月曜日の朝である。

先週は風邪が長引き、まるまる1週間休んでしまった。

学校へ行きたくない気持ちが強くならないか心配したが、意外と行く気満々でゴネることはなかった。

登校時にお母さんが付いて行ったが学校に着く早い段階でもう付いてこなくていいとなったようだ。

学校へ行かない期間が長引くとクラスメイトに会えない寂しさなのか、勉強が遅れるのが心配なのか、家にいてもつまらないのか、学校へ行く気になっているから不思議である。

帰ってきて学校はどうだったと聞いたら、「よかったけど、まあまあだった」とニコニコしながら明日も行く気で準備をしていた。

小1の心と梅雨の空。

晴れているような、曇っているような。いつまた雨が降るか心配である。

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快楽と苦痛の休息

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8回目の月曜日の朝、学校に行きたくない小1の気持ちはどうなるのかと思っていたら、その前に身体が発熱、38度を超え風邪を引いてしまった。
プライベートでいろいろと不測の事態が起こり寝食が乱れてしまっていたのが原因かもしれない。

幸い発熱と喉の痛みはあるが元気で家の中では動きたくてウズウズしている。
学校のクラスメイトに会いたいなぁと言っているのを聞くと、家で一人こもっているのは好きじゃないのだろう。友達のおかげで学校に行きたくない気持ちは薄れていくのだろうか。

しかしクラスメイトに会いたい気持ちと学校の勉強と規律は別問題。
学校への気持ちは微妙なところだ。

入学して2ヶ月目、同じ通団の子やとなりの席の子、同じクラスメイトも風邪で休みが出てきている。

入学早々、ハイにさせられる運動会が終わり、学校で溜まった疲れがどっと吹き出してくる頃なのだろう。
学校生活で起こる快楽と苦痛の気持ちたちが心の奥で休みたがっているかもしれない。

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親心と砂ぼこりのラケット

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昨日の午後、息子を連れて近所の公園に遊びに出かけた。

小学校で放課後にやったバトミントをやってみたいということでラケットと羽根を買い、楽しみに出かけたのだった。

天気よく沢山の人で賑わう公園に到着し、さっそくラケットを持って打ち合いを始めたが、経験の少ない息子はラケットにうまく羽根が当たらず、興味が薄れてきた。

私はなんとか上手に出来るように、「羽根をよくみて」、「ゆっくりラケットを振って」、「握り方はこうだ」、「下から振ってみると当てやすいぞ」などアドバイスをするが、悉くうまくいかない。

そのうち息子はラケットを力いっぱいぶん回し、羽根の中に砂を入れては手で投げ、ついにはラケットで砂遊びがはじまった。

もうラケットはバトミントンの道具ではなく、砂から石を選り分けるザルと化し、砂から石を選り分けては大きい石が取れたと喜んでいる。

息子はバトミントンを上手にやることが目的じゃなかったことに気づく。

私とバトミントンのラリーをバンバン打ち合い、勝負をしたいわけではないのだ。

親心として簡単なラリーの打ち合いが楽しく出来るようにアドバイスと思っていたが、事を急ぎすぎ、勘違いも甚だしいことに気づく。

おそらくラケットを振るだけ、ラリーなどせず一発でも羽根にあたれば満足だったのだ。

勘違いに気づいてからはバトミントンは忘れ、ラケットや羽根を使い砂遊びへ。
しばらくしてバトミントンがしてみたいとまた打ち始める。

ラケットに羽根が当たる度に、隙間に詰まった砂が飛び散り、親心に付いていた勘違いという砂ぼこりを払い飛ばしてくれるのだった。

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今ここにしかいない子供たち

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近所の小学校以外のもう一つの学校、オルタナティブ・スクールが名古屋市緑区にできることを知り、小1の息子にもう一つの成長や学びの選択肢として提案したいのだがどう説明したらいいのか悩む。

学校に行きたくないなら、もう一つの学校はどうかと逃げの気持ちで選択をしてもらうより、新しい学校の方が勉強が面白い、ワクワクしながら自ら学びたいという気持ちで選んでほしい。

近所の小学校は学び方に違和感や憤りを感じるが、窮屈な思いをしながらも先生や友達ともコミュニケーションをとって楽しく過ごせているので、許容できなくもないし、1年もすれば学校に慣れて?妥協して?我慢して?普通に通えると思う。

少しづつ近所の小学校に行くのも慣れ始め、読み、書き、計算も慣れ始めてきた。
最近始まった宿題を親が言わなくてもやっているが、たまに宿題をやらないと先生に怒られると思っているのを見るとそんな気持ちならやらんでいいわと“与えられた宿題”に憤りを感じる。

今学んでいることやどんな気持ちで学んでいくかが将来の選択にどれほど影響があるかは、今ここにしかいない子供たちにはわからない。

既成の小学校ともう一つの学校、オルタナティブスクール

親としては将来のことを考えてなんて思っているが、子供の将来は親が決めるわけではない。
どうやって説明して、どんな気持ちで選んでもらうのか悩みがつきない。

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学校よりも学び方

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既成の小学校ではないもう一つの学校、オルタナティブ・スクールの存在を知り、6才以降の学び方にもいろいろな選択肢があることを知った。

癒やしや逃げとしての場ではなく、主体性や内発性を育てる場として正直、既成の小学校より面白いんじゃないかと思いはじめた。

小1の息子はオルタナティブスクールの存在など全く知らないし、親御さんの殆どは小学校以外の選択など微塵にも考えたことはないだろう。

小学校に行かないと言う選択は、落ちこぼれ、不登校、甘え、協調性がない、根性が足りない、病気、障害などネガティブな見方が大半を占める。

しかし、幼児期の過ごし方から学童へのプロセスを振り返ると、幼児園、保育園、自主保育など子どもたちの過ごし方や学び方はバラバラである。

バラバラな環境や学びの中で育ってきた子どもたちが小学校で成長のスピードやタイミングを急に同じように揃えられることは、学校へ行こうという意欲に歪みが生じるのは当然である。

子どもからしたら学校に行きたくないのが圧倒的多数で当たり前かもしれない。

子どもたちは学校に行きたくないというが、よくよくその気持を掘り下げてみると「学び方が面白くない」というのが本音に近いのかもしれない。

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もう一つの学校、オルタナティブ・スクール

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小学校での学び方に違和感を感じ、教育や子供の成長について考えていると頭が空回りして混乱しそうだ。

幸い現在、私の住んでいる名古屋市緑区では育児や教育について関心の高い人が多く、近所でいろんな情報を得られることはありがたい。

そこで学校について聞いた話で興味深かったのがオルタナティブ・スクールである。

オルタナティブとは「もう一つの」という意味で、既成や既存に対してのもう一つのというような意味で、スクールと合わせてもう一つの学校。

最初は、学校で心身に問題が起こり不登校になってしまった子どもたちが集まる逃げ場のような癒やしの場のようなイメージがあったのだが詳しく調べてみるとどうやら違うらしい。

小学校で学ぶ国語、算数などの基礎学力はもちろんこなし、日常生活や遊びの中で沸き起こる好奇心や疑問などから、みんなでテーマを決めて話し合ったり、個々の興味に関することをプロジェクト化して自己探求などもしてく。

好きなことを自由にできて楽しそうに見えるが、知識や経験の少ない子どもが基礎学力やテーマ、プロジェクトなど自ら意思決定をして話し合ったり、責任を持って遂行していくのだから、大人の専門スタッフがサポートしたとしても既存の小学校よりも大変なのではないかとも思える。正直、大人であっても大変なことだ。

好きなこととはいえ、与えられたことをやるよりも、自分で決めることや自分で決めたことをやることの方がストレス負荷としては大きい。

しかし心地よいユーストレスを感じながら学力や意思決定力を磨くことは、心地よい疲労感、達成感につながり、自己効力感(わたしできる)や自己肯定感(わたしすき)を育てていくには子供の成長、社会での活躍を考えたときとっても役立つのではないか。

オルタナティブ・スクールという、もう一つの心地よい成長の場があることを知って、近所の小学校という既成の選択肢に縛られない考えから少し解放されそうだ。

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学校と親の空回り

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小1息子の「学校に行きたくない」に困ってしまったが、それ以上に親の私が「なんで学校に行くのか?」を上手に説明できないことに困ってしまったことに驚いた。

そもそも「なぜ学校は行かないといけないのか?」「なんで学校があるのか?」ということを知識も経験も少ない息子に説明することは可能なのか?周りの小1の親御さんはどんな説明しているのか?気になって仕方がない。

6歳までは幼稚園、保育園、こども園、自主保育、認可、未認可、自宅で過ごすなどいろんな選択肢があるのだが、いざ子どもが6歳を過ぎて学校へ行こうとなった時、選択肢はほぼ近所の公立小学校となる。

しかし、よくよく考えてみると奇妙ではないか?

今まで違う環境で違う学びをしてきてた子供たちが年齢と居住区域を境に小学校で同じ環境で同じ教育を受けるのである。
特に小学校1年生は経験や知識、体力など個々の能力のスタートラインがバラバラすぎて、とても右にならえで画一的に学べる状態ではない。

子どもたちのデコボコな学びのスタートラインをそろえることで、学校に行きたくなくなってしまっては本末転倒ではないか?

これから息子は読み・書き・計算など基礎学力と言われる学びのスタートラインを揃えられて慣れていくことと思うが、画一的なことをしろと言われ続けた子どもに大きくなってから個性を発揮しろ、想像力が大事だといったところで、何を言っているのか意味がわからないだろう。

入学前に持っていた想像力の翼は使い続けていなくては何れ衰え、羽ばたくことが億劫になり、飛ぶことさえも忘れてしまうかもしれない。

そして与えられた課題に四苦八苦し、与えられたルールに縛られ、与えられたゲームでストレスを発散する。

親の私は「学校に行きたくない」に対して訳の分かったような、分からないような理屈を並べて説得し、矛盾という空回りがはじまる。

 

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学校に行きたくない②

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小1の息子は学校に行きたくないと言いつつも学校に行ってしまうとケロッとしてクラスメイトと楽しんでいるようだ。

お勉強は言葉や数の概念については理解できてはいるが、いわゆる計算ドリルやなぞり文字の単調作業がつまらない。
間違えてやり直し、はみ出してやり直し、窮屈で仕方ない。

私も小学生のときに行かされた公文式を思い出す。
単調作業の応酬に苦悶したときは計算が得意な下級生に自分の宿題をうまいこと一緒にやらせてなんとかやり過ごしたこともあった。
それでも高校は理系を選択したのだから、学びのタイミングや成長のスピードが合えば興味を持つものだ。

息子は今、何に興味をもっているのか?どんな好奇心を持っているのか?

新しく始まった世界で起こる言葉にできない思いに興味や好奇心のヒントがありそうだ。

 

はりきゅう自然治療院
中神

 

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