教育

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快楽と苦痛の休息

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8回目の月曜日の朝、学校に行きたくない小1の気持ちはどうなるのかと思っていたら、その前に身体が発熱、38度を超え風邪を引いてしまった。
プライベートでいろいろと不測の事態が起こり寝食が乱れてしまっていたのが原因かもしれない。

幸い発熱と喉の痛みはあるが元気で家の中では動きたくてウズウズしている。
学校のクラスメイトに会いたいなぁと言っているのを聞くと、家で一人こもっているのは好きじゃないのだろう。友達のおかげで学校に行きたくない気持ちは薄れていくのだろうか。

しかしクラスメイトに会いたい気持ちと学校の勉強と規律は別問題。
学校への気持ちは微妙なところだ。

入学して2ヶ月目、同じ通団の子やとなりの席の子、同じクラスメイトも風邪で休みが出てきている。

入学早々、ハイにさせられる運動会が終わり、学校で溜まった疲れがどっと吹き出してくる頃なのだろう。
学校生活で起こる快楽と苦痛の気持ちたちが心の奥で休みたがっているかもしれない。

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今ここにしかいない子供たち

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近所の小学校以外のもう一つの学校、オルタナティブ・スクールが名古屋市緑区にできることを知り、小1の息子にもう一つの成長や学びの選択肢として提案したいのだがどう説明したらいいのか悩む。

学校に行きたくないなら、もう一つの学校はどうかと逃げの気持ちで選択をしてもらうより、新しい学校の方が勉強が面白い、ワクワクしながら自ら学びたいという気持ちで選んでほしい。

近所の小学校は学び方に違和感や憤りを感じるが、窮屈な思いをしながらも先生や友達ともコミュニケーションをとって楽しく過ごせているので、許容できなくもないし、1年もすれば学校に慣れて?妥協して?我慢して?普通に通えると思う。

少しづつ近所の小学校に行くのも慣れ始め、読み、書き、計算も慣れ始めてきた。
最近始まった宿題を親が言わなくてもやっているが、たまに宿題をやらないと先生に怒られると思っているのを見るとそんな気持ちならやらんでいいわと“与えられた宿題”に憤りを感じる。

今学んでいることやどんな気持ちで学んでいくかが将来の選択にどれほど影響があるかは、今ここにしかいない子供たちにはわからない。

既成の小学校ともう一つの学校、オルタナティブスクール

親としては将来のことを考えてなんて思っているが、子供の将来は親が決めるわけではない。
どうやって説明して、どんな気持ちで選んでもらうのか悩みがつきない。

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学校よりも学び方

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既成の小学校ではないもう一つの学校、オルタナティブ・スクールの存在を知り、6才以降の学び方にもいろいろな選択肢があることを知った。

癒やしや逃げとしての場ではなく、主体性や内発性を育てる場として正直、既成の小学校より面白いんじゃないかと思いはじめた。

小1の息子はオルタナティブスクールの存在など全く知らないし、親御さんの殆どは小学校以外の選択など微塵にも考えたことはないだろう。

小学校に行かないと言う選択は、落ちこぼれ、不登校、甘え、協調性がない、根性が足りない、病気、障害などネガティブな見方が大半を占める。

しかし、幼児期の過ごし方から学童へのプロセスを振り返ると、幼児園、保育園、自主保育など子どもたちの過ごし方や学び方はバラバラである。

バラバラな環境や学びの中で育ってきた子どもたちが小学校で成長のスピードやタイミングを急に同じように揃えられることは、学校へ行こうという意欲に歪みが生じるのは当然である。

子どもからしたら学校に行きたくないのが圧倒的多数で当たり前かもしれない。

子どもたちは学校に行きたくないというが、よくよくその気持を掘り下げてみると「学び方が面白くない」というのが本音に近いのかもしれない。

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もう一つの学校、オルタナティブ・スクール

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小学校での学び方に違和感を感じ、教育や子供の成長について考えていると頭が空回りして混乱しそうだ。

幸い現在、私の住んでいる名古屋市緑区では育児や教育について関心の高い人が多く、近所でいろんな情報を得られることはありがたい。

そこで学校について聞いた話で興味深かったのがオルタナティブ・スクールである。

オルタナティブとは「もう一つの」という意味で、既成や既存に対してのもう一つのというような意味で、スクールと合わせてもう一つの学校。

最初は、学校で心身に問題が起こり不登校になってしまった子どもたちが集まる逃げ場のような癒やしの場のようなイメージがあったのだが詳しく調べてみるとどうやら違うらしい。

小学校で学ぶ国語、算数などの基礎学力はもちろんこなし、日常生活や遊びの中で沸き起こる好奇心や疑問などから、みんなでテーマを決めて話し合ったり、個々の興味に関することをプロジェクト化して自己探求などもしてく。

好きなことを自由にできて楽しそうに見えるが、知識や経験の少ない子どもが基礎学力やテーマ、プロジェクトなど自ら意思決定をして話し合ったり、責任を持って遂行していくのだから、大人の専門スタッフがサポートしたとしても既存の小学校よりも大変なのではないかとも思える。正直、大人であっても大変なことだ。

好きなこととはいえ、与えられたことをやるよりも、自分で決めることや自分で決めたことをやることの方がストレス負荷としては大きい。

しかし心地よいユーストレスを感じながら学力や意思決定力を磨くことは、心地よい疲労感、達成感につながり、自己効力感(わたしできる)や自己肯定感(わたしすき)を育てていくには子供の成長、社会での活躍を考えたときとっても役立つのではないか。

オルタナティブ・スクールという、もう一つの心地よい成長の場があることを知って、近所の小学校という既成の選択肢に縛られない考えから少し解放されそうだ。

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学校と親の空回り

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小1息子の「学校に行きたくない」に困ってしまったが、それ以上に親の私が「なんで学校に行くのか?」を上手に説明できないことに困ってしまったことに驚いた。

そもそも「なぜ学校は行かないといけないのか?」「なんで学校があるのか?」ということを知識も経験も少ない息子に説明することは可能なのか?周りの小1の親御さんはどんな説明しているのか?気になって仕方がない。

6歳までは幼稚園、保育園、こども園、自主保育、認可、未認可、自宅で過ごすなどいろんな選択肢があるのだが、いざ子どもが6歳を過ぎて学校へ行こうとなった時、選択肢はほぼ近所の公立小学校となる。

しかし、よくよく考えてみると奇妙ではないか?

今まで違う環境で違う学びをしてきてた子供たちが年齢と居住区域を境に小学校で同じ環境で同じ教育を受けるのである。
特に小学校1年生は経験や知識、体力など個々の能力のスタートラインがバラバラすぎて、とても右にならえで画一的に学べる状態ではない。

子どもたちのデコボコな学びのスタートラインをそろえることで、学校に行きたくなくなってしまっては本末転倒ではないか?

これから息子は読み・書き・計算など基礎学力と言われる学びのスタートラインを揃えられて慣れていくことと思うが、画一的なことをしろと言われ続けた子どもに大きくなってから個性を発揮しろ、想像力が大事だといったところで、何を言っているのか意味がわからないだろう。

入学前に持っていた想像力の翼は使い続けていなくては何れ衰え、羽ばたくことが億劫になり、飛ぶことさえも忘れてしまうかもしれない。

そして与えられた課題に四苦八苦し、与えられたルールに縛られ、与えられたゲームでストレスを発散する。

親の私は「学校に行きたくない」に対して訳の分かったような、分からないような理屈を並べて説得し、矛盾という空回りがはじまる。

 

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