親心と砂ぼこりのラケット

Pocket

昨日の午後、息子を連れて近所の公園に遊びに出かけた。

小学校で放課後にやったバトミントをやってみたいということでラケットと羽根を買い、楽しみに出かけたのだった。

天気よく沢山の人で賑わう公園に到着し、さっそくラケットを持って打ち合いを始めたが、経験の少ない息子はラケットにうまく羽根が当たらず、興味が薄れてきた。

私はなんとか上手に出来るように、「羽根をよくみて」、「ゆっくりラケットを振って」、「握り方はこうだ」、「下から振ってみると当てやすいぞ」などアドバイスをするが、悉くうまくいかない。

そのうち息子はラケットを力いっぱいぶん回し、羽根の中に砂を入れては手で投げ、ついにはラケットで砂遊びがはじまった。

もうラケットはバトミントンの道具ではなく、砂から石を選り分けるザルと化し、砂から石を選り分けては大きい石が取れたと喜んでいる。

息子はバトミントンを上手にやることが目的じゃなかったことに気づく。

私とバトミントンのラリーをバンバン打ち合い、勝負をしたいわけではないのだ。

親心として簡単なラリーの打ち合いが楽しく出来るようにアドバイスと思っていたが、事を急ぎすぎ、勘違いも甚だしいことに気づく。

おそらくラケットを振るだけ、ラリーなどせず一発でも羽根にあたれば満足だったのだ。

勘違いに気づいてからはバトミントンは忘れ、ラケットや羽根を使い砂遊びへ。
しばらくしてバトミントンがしてみたいとまた打ち始める。

ラケットに羽根が当たる度に、隙間に詰まった砂が飛び散り、親心に付いていた勘違いという砂ぼこりを払い飛ばしてくれるのだった。

Pocket

今ここにしかいない子供たち

Pocket

近所の小学校以外のもう一つの学校、オルタナティブ・スクールが名古屋市緑区にできることを知り、小1の息子にもう一つの成長や学びの選択肢として提案したいのだがどう説明したらいいのか悩む。

学校に行きたくないなら、もう一つの学校はどうかと逃げの気持ちで選択をしてもらうより、新しい学校の方が勉強が面白い、ワクワクしながら自ら学びたいという気持ちで選んでほしい。

近所の小学校は学び方に違和感や憤りを感じるが、窮屈な思いをしながらも先生や友達ともコミュニケーションをとって楽しく過ごせているので、許容できなくもないし、1年もすれば学校に慣れて?妥協して?我慢して?普通に通えると思う。

少しづつ近所の小学校に行くのも慣れ始め、読み、書き、計算も慣れ始めてきた。
最近始まった宿題を親が言わなくてもやっているが、たまに宿題をやらないと先生に怒られると思っているのを見るとそんな気持ちならやらんでいいわと“与えられた宿題”に憤りを感じる。

今学んでいることやどんな気持ちで学んでいくかが将来の選択にどれほど影響があるかは、今ここにしかいない子供たちにはわからない。

既成の小学校ともう一つの学校、オルタナティブスクール

親としては将来のことを考えてなんて思っているが、子供の将来は親が決めるわけではない。
どうやって説明して、どんな気持ちで選んでもらうのか悩みがつきない。

Pocket

学校よりも学び方

Pocket

既成の小学校ではないもう一つの学校、オルタナティブ・スクールの存在を知り、6才以降の学び方にもいろいろな選択肢があることを知った。

癒やしや逃げとしての場ではなく、主体性や内発性を育てる場として正直、既成の小学校より面白いんじゃないかと思いはじめた。

小1の息子はオルタナティブスクールの存在など全く知らないし、親御さんの殆どは小学校以外の選択など微塵にも考えたことはないだろう。

小学校に行かないと言う選択は、落ちこぼれ、不登校、甘え、協調性がない、根性が足りない、病気、障害などネガティブな見方が大半を占める。

しかし、幼児期の過ごし方から学童へのプロセスを振り返ると、幼児園、保育園、自主保育など子どもたちの過ごし方や学び方はバラバラである。

バラバラな環境や学びの中で育ってきた子どもたちが小学校で成長のスピードやタイミングを急に同じように揃えられることは、学校へ行こうという意欲に歪みが生じるのは当然である。

子どもからしたら学校に行きたくないのが圧倒的多数で当たり前かもしれない。

子どもたちは学校に行きたくないというが、よくよくその気持を掘り下げてみると「学び方が面白くない」というのが本音に近いのかもしれない。

Pocket

もう一つの学校、オルタナティブ・スクール

Pocket

小学校での学び方に違和感を感じ、教育や子供の成長について考えていると頭が空回りして混乱しそうだ。

幸い現在、私の住んでいる名古屋市緑区では育児や教育について関心の高い人が多く、近所でいろんな情報を得られることはありがたい。

そこで学校について聞いた話で興味深かったのがオルタナティブ・スクールである。

オルタナティブとは「もう一つの」という意味で、既成や既存に対してのもう一つのというような意味で、スクールと合わせてもう一つの学校。

最初は、学校で心身に問題が起こり不登校になってしまった子どもたちが集まる逃げ場のような癒やしの場のようなイメージがあったのだが詳しく調べてみるとどうやら違うらしい。

小学校で学ぶ国語、算数などの基礎学力はもちろんこなし、日常生活や遊びの中で沸き起こる好奇心や疑問などから、みんなでテーマを決めて話し合ったり、個々の興味に関することをプロジェクト化して自己探求などもしてく。

好きなことを自由にできて楽しそうに見えるが、知識や経験の少ない子どもが基礎学力やテーマ、プロジェクトなど自ら意思決定をして話し合ったり、責任を持って遂行していくのだから、大人の専門スタッフがサポートしたとしても既存の小学校よりも大変なのではないかとも思える。正直、大人であっても大変なことだ。

好きなこととはいえ、与えられたことをやるよりも、自分で決めることや自分で決めたことをやることの方がストレス負荷としては大きい。

しかし心地よいユーストレスを感じながら学力や意思決定力を磨くことは、心地よい疲労感、達成感につながり、自己効力感(わたしできる)や自己肯定感(わたしすき)を育てていくには子供の成長、社会での活躍を考えたときとっても役立つのではないか。

オルタナティブ・スクールという、もう一つの心地よい成長の場があることを知って、近所の小学校という既成の選択肢に縛られない考えから少し解放されそうだ。

Pocket

学校と親の空回り

Pocket

小1息子の「学校に行きたくない」に困ってしまったが、それ以上に親の私が「なんで学校に行くのか?」を上手に説明できないことに困ってしまったことに驚いた。

そもそも「なぜ学校は行かないといけないのか?」「なんで学校があるのか?」ということを知識も経験も少ない息子に説明することは可能なのか?周りの小1の親御さんはどんな説明しているのか?気になって仕方がない。

6歳までは幼稚園、保育園、こども園、自主保育、認可、未認可、自宅で過ごすなどいろんな選択肢があるのだが、いざ子どもが6歳を過ぎて学校へ行こうとなった時、選択肢はほぼ近所の公立小学校となる。

しかし、よくよく考えてみると奇妙ではないか?

今まで違う環境で違う学びをしてきてた子供たちが年齢と居住区域を境に小学校で同じ環境で同じ教育を受けるのである。
特に小学校1年生は経験や知識、体力など個々の能力のスタートラインがバラバラすぎて、とても右にならえで画一的に学べる状態ではない。

子どもたちのデコボコな学びのスタートラインをそろえることで、学校に行きたくなくなってしまっては本末転倒ではないか?

これから息子は読み・書き・計算など基礎学力と言われる学びのスタートラインを揃えられて慣れていくことと思うが、画一的なことをしろと言われ続けた子どもに大きくなってから個性を発揮しろ、想像力が大事だといったところで、何を言っているのか意味がわからないだろう。

入学前に持っていた想像力の翼は使い続けていなくては何れ衰え、羽ばたくことが億劫になり、飛ぶことさえも忘れてしまうかもしれない。

そして与えられた課題に四苦八苦し、与えられたルールに縛られ、与えられたゲームでストレスを発散する。

親の私は「学校に行きたくない」に対して訳の分かったような、分からないような理屈を並べて説得し、矛盾という空回りがはじまる。

 

Pocket

学校に行きたくない②

Pocket

小1の息子は学校に行きたくないと言いつつも学校に行ってしまうとケロッとしてクラスメイトと楽しんでいるようだ。

お勉強は言葉や数の概念については理解できてはいるが、いわゆる計算ドリルやなぞり文字の単調作業がつまらない。
間違えてやり直し、はみ出してやり直し、窮屈で仕方ない。

私も小学生のときに行かされた公文式を思い出す。
単調作業の応酬に苦悶したときは計算が得意な下級生に自分の宿題をうまいこと一緒にやらせてなんとかやり過ごしたこともあった。
それでも高校は理系を選択したのだから、学びのタイミングや成長のスピードが合えば興味を持つものだ。

息子は今、何に興味をもっているのか?どんな好奇心を持っているのか?

新しく始まった世界で起こる言葉にできない思いに興味や好奇心のヒントがありそうだ。

 

はりきゅう自然治療院
中神

 

Pocket

学校に行きたくない

Pocket

「学校に行きたくない」

休日明け、月曜日の朝。息子(小1)の魂の雄叫びが続いている。

入学式からはじめの数週間は新しい学校生活を楽しんでいたようだが、学校での授業や運動会が始まり、あれこれ指示されてルールに沿って考えたり、時間通りに動いたりしないといけないことにストレスを感じているようだ。

そのうちに学校生活に慣れるかなと思っていたが、案の定、自然の中で自由にのびのび遊んで過ごした息子には学校の勉強やルールは窮屈で不快でしかたない。当然といえば当然だ。

困った事態になったと思ったが、息子が学校に行きたくないことに困ったというより、学校へ行くことをなんて説明したらいいのか?親が困ってしまったのであった。

幼児園を卒業したから?

ことばや数の勉強をして賢くなるため?

たくさんの友達を作るため?

みんなが行っているから?

集団行動のルールを学ぶため?

集団で協力することの大切さを知るため?

儘ならない世界を知って我慢することを覚えるため?

義務教育だから?

などなど。

息子の魂に響かないであろう空回りした親問答が続く。。。

はりきゅう自然治療院
中神

Pocket

小満 ~二十四節気 第八~ 自然のリズムを感じて過ごす。

Pocket

小満(しょうまん)。
5/21~6/4ごろまで。

あらゆる命が満ちていく時期。
麦の収穫、田植え、蚕の成長など農家では猫の手も借りたいほど忙しくなる。

◯七十二候
・初候 蚕起食桑(かいこ おこって くわを くらう) : 蚕が桑を盛んに食べ始める。
・次候 紅花栄(こうか さかう) : 紅花が盛んに咲く。
・末候 麦秋至(ばくしゅう いたる) : 麦が熟し麦秋となる。

◯旬の食材
青梅、そら豆、ヒメタケ、らっきょう、シロギスなど。

◯植物、生き物
すずらん、あり、てんとう虫、シジュウカラなど。

中神筆
先日は息子が通っていた幼児園で夕方から篠笛とアイリッシュハープの調べを聞いてきました。
アナログ楽器の響きは心地よいです。

Pocket

ロコモペイングループ設立2周年記念セミナー2018春

Pocket

専門家向け

テーマ:「運動器疼痛を科学する」
運動器疼痛を科学的に理解し、臨床にどう生かすか?

主に柔道整復師の先生が集まる勉強会ですが、鍼灸師の私も痛みの基礎の見直しに毎年参加させていただいています。

名古屋大学医学部や愛知医科大学で分子、組織レベルで基礎研究を行いながら接骨院で臨床まで落とし込み、最新の知見をわかりやすく伝えられる先生方の努力に毎年感謝です。

今回は体表解剖やミクロ解剖の研究者である河上敬介先生による講演もあり、特にここ数年、手技業界で流行語となっている「筋膜」について解剖の視点から写真、動画、イラストを使って実際の知見をご講義頂き大変勉強になりました。

また柔整業界では亜急性期の保険扱いの是非が熱を帯びてきており、医師から柔道整復の必要性や有効性についてさらに厳しく問い正されていくようです。

柔道整復師、理学療法士、アスレティックトレーナー、カイロプラクター、オステオパス、整体師などなど玉石混交の手技業界ですが最低限の共通言語として解剖学の見直しの重要性を感じた1日でした。

https://www.locomopain.jp/2y/

Pocket

立夏 ~二十四節気 第七 自然のリズムを感じて過ごす~

Pocket

立夏(りっか)。
5/5~5/20ごろまで。

◯七十二候
・初候 蛙始鳴(かえる はじめて なく) : 蛙が鳴き始める
・次候 蚯蚓出(きゅういん いずる) : 蚯蚓が地上に這出る
・末候 竹笋生(ちくかん しょうず) : 筍が生えて来る

◯旬の食材
いちご、たけのこ、新じゃがいも、夏みかん、ホタテ、明日葉など。

◯植物、生き物
 ドクダミ、芍薬、カタクリの花が咲く。

◯風物詩・習わし
・鵜飼い
 鵜を使って鮎を獲る日本の伝統漁法。日本書紀、古事記にも記載されている。
 岐阜県長良川の鵜飼いが有名。5/11頃から鵜飼い開きとなる。

・端午の節句
 陰陽五行説に由来し、季節の節目となる五節句の一つ。
 5/5は旧暦の午の月が5月、午は五とも読みが重なることから
 5の付く日を端午とするようになる。元は午の月の端=初めの午の日だった。

◯中神筆
新緑の葉が日に照らされて、若々しさがまぶしい季節になってきました。
スギ、ヒノキの花粉症状が落ち着き、外に出るのが気持ちいですね。

先日の雨上がりの夜に某所をランニングをしていたらホタルが飛び始めていました。
これから新月に向けて夜の暗さが深まり、雨が降った後は見頃です。
夜のランニングに楽しみが増えました。

はりきゅう自然治療院 中神

Pocket